「全世界的に、同時に同じ情報と戦略をもってコミュニケートする」ことは日本でもできる?



表題の言葉は、伊藤美恵さんの「情熱がなければ伝わらない!アタッシェ・ドゥ・プレスという仕事」という著書で紹介されていました。フランスのアタッシェ・ドゥ・プレスの大物、シルヴィ・グランバックさんから言われた言葉です。

「マダム伊藤、私たちの仕事はね、全世界的に、同時に同じ情報と戦略をもってコミュニケートすることが重要なの」

― シルヴィ・グランバック(p127)

この言葉をパッと見た時、「ん?本当にそうかな?」と思いました。というのは、自分が関わっている海外発サービスの日本展開の仕事では、本社から来た情報をそのまま日本にも流しただけでは良い効果は得られないことが多いからです。


「全世界的に、同時に同じ情報と戦略をもってコミュニケートする」というのはどういう意味なんだろうなと思って、とりあえず続きを読んでいくと、納得がいきました。


上記の言葉の紹介の後に、「ファッションの世界は、受け手も送り手も完全なノー・ボーダー〜国境無き時代となりました」と前置かれて、次のように述べられています。

「そういった時代のアタッシェ・ドゥ・プレスは、海外のプロたちと同等に渡りあえるだけのレベルとノウハウを持っていなければなりません。「日本では違うのだ」と旧来の方法を押し通しても、笑われるか無視されるかだけです。
 かといって、海外ブランドの日本進出のPRを、本国にある本社の言われるままに動いているだけでは、私たちの存在理由はなくなってしまいます。
 本国の意向を十分に理解、咀嚼して、なおかつ日本のメディアやユーザーの実情に即した対応をしていくこと。それが重要です。ただ、それにしても、まずは海外のアタッシェ・ドゥ・プレスのクオリティに達しないことにはスタートラインに並ぶこともできません。そこに立ってはじめて「全世界的に、同時に同じ情報と戦略をもってコミュニケートすること」ができるのです。」
(「情熱がなければ伝わらない!アタッシェ・ドゥ・プレスという仕事」p128-129)

つまり、本国と日本との間に立って、「全世界的に、同時に同じ情報と戦略をもって」発信される情報を、いかに日本の人に理解してもらえるような形で「コミュニケートする」かが重要ということだと思います。それができず、ただ単に情報を翻訳(文字通りの翻訳、文字面だけの翻訳)をするだけでは意味があまりありません。


逆に言えば、そこにこそ、間に立つ人の存在意義があります。対象の商品やサービスはどういうコンセプトで作られているのか、本社はどういう点をアピールしてほしいのか、また、誰の役に立つのか、どう役に立つのかといったことを踏まえた上で、日本で伝わりやすいような形にして伝えていくかが大事です。「翻訳」より「翻案」と言った方がいいかもしれませんし、時にはかなり作り直すことも必要です。


そこでは、よく言われることでもありますが、「変えて良いもの」「変えるべきもの」と「変えてはいけないもの」が区別が重要です。その区別をした上で、前者をどんどん変えていくことによって、市場にあわせてコミュニケートするということだと思います。


同書では、また別の著名なアタッシェ・ドゥ・プレスのジャン・ジャック・ピカールさんにインタビューしていますが、その中で次のような言葉がありました。

「ある海外ブランドの世界的なイメージが、地域の特性とのコミュニケーションを図る上で妨げになることは、ほとんどありません。大切なことは、世界的なメッセージが正確に認識されることであり、そのためにアタッシェ・ドゥ・プレスは、その国の文化や住む人々に適したコミュニケーションツールを生み出し、理解してもらわなければならないのです。たとえば、日常生活でも、両親が子供に麻薬の危険性について注意する時、15歳の息子と7歳の娘とにでは、同じ言葉や表現を使ったりはしないのと同じことです。」
― ジャン・ジャック・ピカール氏(「情熱がなければ伝わらない!アタッシェ・ドゥ・プレスという仕事」p197)

この例では、「麻薬はダメ、危険」ということが変えてはいけないメッセージであり、その説明の言葉や表現が変えて良いもの、変えるべきものでしょう。この例は分かりやすく、なるほどなとストンと腑に落ちました。しかし、子育ての比喩っていうのは万能ですね。


あと、最後に、プレス・リリースの話が面白かったです。イタリアでのファッションショーにおける日本のジャーナリスト向けのリリースの話です。

「多くの場合、本部からのプレス・リリースが届くのはショーの始まる数時間前。これを本番までに訳し、何十部とプリントしなければなりません。
 前線基地となる現地のほてるの部屋は戦場のような様相を呈します。本部からのプレス・リリースを訳すだけなら簡単じゃないか、なんて思ったら大間違い。イタリア語やフランス語の、直訳しただけでは意味不明な言葉が並べ立てられた文章、詩的とも言えるかもしれませんが、イメージに走りすぎた文章が混じったリリースが送られてきて。これをなんとか日本語で通じるように訳すわけです。」(p164)

これ、かなり共感しました。自分の場合もいつも直前で送られてきて、しかもイマイチなんで必要なのかが分からないパラグラフや表現とかがあったりして、苦労します。また、送られてくるのも前日であることが多く、いつもバタバタして本社に苦情を言ったりしています。ただ、数時間前に比べればまだマシだなと(笑)


市場にあわせたコミュニケーションと翻訳というのは中々難しく、面白いテーマなのでまた折をみて考えてみたいと思います。