専門的な話をスラスラと読ませてしまう比喩の力 - 「生命の跳躍」







ニック・レーン「生命の跳躍――進化の10大発明」を読み終わりました。内容も面白かったんですが、比喩の使い方がとても興味深かったです。美しい比喩とはこういうことかと感じた本でした。

内容について

生物の進化における革命を10個選んで解説していった本。10の革命は、生命の誕生、DNA、光合成、複雑な細胞、有性生殖、運動、視覚、温血性、意識、死。



生命がいかにして生まれたかというところから、複雑さを増し、運動や視覚といった能力をどのようにして獲得していったかということが、さまざまな研究結果を踏まえて解説されています。



筋肉と未来都市

生物と化学の基礎的な知識がないと結構難しい箇所がありましたが、それでもスラスラと読んでしまいました。それは比喩が上手かったからだと思います。



例えば、第6章「運動」で、筋肉が働く仕組みについての説明していますが、ここでは次のような表現が使われていました。

「あなたの体をATP分子のサイズに縮めたとすれば、細胞はまるで未来の巨大都市だ。どこをむいてもはるか彼方まで莫大な数のケーブルが延び、それらがさらにたくさんのケーブルで支えられている。細くて切れそうに見えるものもあれば、とても太いものもある。この細胞という都市では、重力は無意味で粘性がすべてで、そこらじゅうで原子がランダムに揺れている。体を動かそうとしてもまるで糖蜜に絡めとられたように動けず、それでいていっせいに四方八方からたたかれ小突かれる。そして突然、このとんでもない都市を突っ切って、驚異的なスピードで奇妙なマシンがやってくる。1本のケーブルを軌道として機械の手でたぐっているマシンだ。この疾走するマシンに、ばかでかい物体がかさばる連結装置でつながれ、高速で牽引されている。その行く手にいたら、空飛ぶ発電所にぶつかることになるだろう。じっさい、まさしく空飛ぶ発電所だ。これはミトコンドリアで、都市の反対側にある仕掛けを動かしに行く途中なのである。ほかにもいろいろなものがみな同じ方向へ向かっているのが見える。あるものは早く、あるものはゆっくりだが、どれも空中の軌道に沿って同じようなマシンに引っ張られている。そのとき、ドン!ミトコンドリアが通過すると、あなたは乱流に巻き込まれ、きりきり舞いさせられる。あなたは、すべての複雑な細胞で絶えず中身をかき混ぜている流れ、細胞質流動の真っ只中にいるのだ。」(p246)

これを読むと、映画のワンシーンのような風景が目に浮かびました。この箇所は、筋肉が働く仕組み、フィラメント滑走説(滑り説)と呼ばれる説についての説明です。



ケーブルとして例えられているのは、筋収縮において利用されるアクチンとミオシンという二種類の分子です。太い方がミオシン、細い方がアクチンでどちらも長い繊維を形成しており、平行に並んで束になり、垂直方向の架橋によって結ばれると解説されています。



そして、架橋は固定されているのではなく、振り子のようにスイングして動くたびにアクチンをすこしずつ進ませることが述べられています。このことが、ケーブルによる移動という比喩によって説明されているのです。



筋肉とヴァイキング

また、上で説明したのと同じ仕組みについて、次のような比喩も用いられています。

「まるで北欧のヴァイキングが水を切ってロングボートを進ませる」
「実のところ、ヴァイキングのロングボートに似ている点はこれだけではない。漕ぎ方が荒っぽく、ひとつの命令だけに従おうとはしないのだ。電子顕微鏡のでの観察から、何千もの架橋のうち、揃って漕ぐのは半数にも満たず、大半はいつもオール(櫂)をめちゃくちゃに動かしていることがわかっている。それでも計算してみると、たとえばらばらでも、そうした小さな動きが合わされば、筋収縮の力全体を説明できるほど強いものになることが証明できる。」
(p235)

この比喩なんかも、筋肉の中でヴァイキングが動いていると思うと読んでいて楽しかったです。



遺伝子配列とオペラ

その他、遺伝子配列について、次のような比喩も用いられていました。

「遺伝子配列は平面に続く文字―まるで音楽のないオペラの台本―になるが、結晶構造解析はタンパク質の立体構造―荘厳な本格的オペラ―を描きだす。かつてワーグナーは、音楽はオペラの歌詞から生まれなくてはならない、歌詞が先だと言った。しかしワーグナーは、彼のゲルマン人らしい頑固な気概だけで人々に記憶されているわけではない。彼の音楽こそが生きつづけ、後世の人を楽しませているのだ。同様に、遺伝子配列は自然界の「歌詞」だが、タンパク質が奏でる真の音楽はその形状にひそんでいる。そして自然選択を生き延びるのは、その形状なのだ。」(p250)

これも非常に面白く、美しい表現だと思います。



比喩の力と著者の勇気

純粋に生物学的な説明の部分だけを読むと、文字としては理解できてもイメージがなかなか入ってきませんが、上のような比喩だとイメージがつかみやすいです。このおかげで、細かい生物、化学的な説明が分からなくても小説を読むようにスラスラと引き込まれて読んでしまいました。



比喩にすることによって厳密な意味での正確さは欠くかもしれませんが、それによって分かりやすさは格段に増していると思います。細かい正確さを捨てて分かりやすさをとった著者は勇気があるし、すごいと思います。



読み終えてみて感じる不思議さ

読み終えると、生物の進化のダイジェストを見た感じがして、改めて今こうやっていろんな複雑な生物がおるのってホントに不思議やなーと感じました。月並みですが、今ここに自分がいて、こうやってブログを書いたりしていることの不思議さも感じさせてくれる本でした。