広く考えよう―対戦相手のボクサーにも目の不自由な妹がいたら?

だいぶ前にとっていた「シリーズ未来をつくる君たちへ 〜司馬遼太郎作品からのメッセージ〜」の第2回「信念を貫いて生きる 〜黒鉄ヒロシが語る勝海舟〜」をようやく見ました。


その中で、黒鉄ヒロシさんが語っていた固定観念の話が面白かったと言うか、確かにと思わされました。

「子供の頃、お坊さんがお葬式で家に来た時に意味なくおかしくないですか?これは酒場にいてもおかしいですよね。ゴルフ場でよくお坊さんに会うんですがやっぱりお寺で座っててほしいなと思うんですね。これは固定観念なんですよ。
 例えばボクサーで目の不自由な妹がいた。この妹のためにボクシングで戦う。賞金がかかってて、勝てばこの子の目の手術代が手に入る。そういうテレビドラマがあったときに、皆その選手を応援しますよね。この妹のために勝ってくれ勝ってくれ。けれども負けた方にも目の不自由な妹がいたらどうなるんだ。
 1つの正義しか無いと思いこむと必ず間違いのもとで、必ず正論がこっちにもあるっていうことですね。」

番組は、勝海舟が主題で、勝海舟は自分自身の正義にとらわれず、大きな枠組みで物事を考えていたということが語られていました。


例えば、幕臣としては徳川家を守るということを考えるのが普通だと思うんですが、それは徳川家という1つの正義でしかなく、もっと大きな視野、例えば日本という単位で物事を考えていた、ひょっとするとさらに大きな枠組で考えていたと(ながら聞きだったのであんまり正確じゃないかもしれませんが、そういうニュアンスだったと思います)。


その他にも、マズローの5段階の欲求とか、死へのおそれとか、そのへんを全部超越してたという感じで語られてました。本当だとすると、超人やんと思いましたが、勝海舟の奥さんが、勝海舟と一緒の墓には入りたくないと言われたというエピソードを聞いて、本当にそういう超越した感じやったのかもなーと思いました。


関連してちょっと思ったのが、今自分が携わっているサービスで競合についてどう考えるのか。自社サービス中心の目線だけで考えていたら、競合が増えたり、競合が良い機能を提供したりするとネガティブにとらえられます。でも、クラウドサービスを広げていくことは日本のためになると思えば、自社も競合もあわせて広まっていくことをポジティブに考えられる。


特に、クラウドで請求書や見積書を作成するサービス。最近競合サービスが増えてきてて懸念していました。でも、自社のことだけでなく、日本という視点からみたら、それは歓迎すべきことやと思い直しました。


今、日本では商慣習として、印刷した見積書・請求書に印鑑を押して提出することを求める会社が少なくなく、印影を見積書・請求書テンプレートに挿入する機能への要望が多いです。でも、見積書や請求書関連の業務をクラウド化してPDFでOKにした方がお互い効率が上がるはず。


あと、単純にサービス数が増えるっていうことは、ユーザーさんにとっては選択肢が増えるということですし、自分たちにとっては、常に改善を続けるための良い意味でのプレッシャーがかかるという点でも良いことやと思います。こういった観点から考えれば、日本でクラウド見積書・請求書サービスが増えていくのは歓迎すべきことやと思いました。


そんなことともつなげて見てましたが面白い番組でした。しかしすげえな勝海舟。ちょっと興味が出てきました。何か本を読んでみようかな。

文化としてのサッカー

文化としてのサッカー

「FOOT×BRAIN」で日比野克彦さんがこんなことを言っとった。

「文化としてサッカーをとらえる国民性がない限り、ただ単なる11人のピッチ上のプレーだけで終わってしまうんだったら、それは文化に根付かなくって、ただ単にスポーツで、ワールドカップで優勝するためにはどうしたらいいだろうかっていう結果だけを求めるものであって、もっともっとサッカーって素晴らしいものだからそれを最大限に生かして、みんなの意識を変えていくようなことができればね、サッカーも強くなるし日本も豊かになると思うのね。
 まだ日本は戦後の急成長でワッと来たから、例えば江戸時代は文化があっての国づくり、国だった。それがガーッと戦後のあと、経済があっての国づくりになっちゃってたから、文化は後回しになっちゃった。文化はお金で買えるでしょみたいな錯覚が一時期あった。
 でも本当はそれじゃ何の文化にもならないし、サッカーをちゃんとその国で取り入れて、サッカーを通して日本はもう1回文化のある国づくりをしなくちゃいけないと思うんだけども。」−日比野克彦さん
(FOOTxBRAIN 2011/11/5放送の回)

サッカーってなんでこんな面白いんやろー、惹きつけられるんやろーっていうことの理由の1つがこの言葉にある気がした。文化とからんで、ものすごくたくさんの要素とからみあってるから飽きないんやろうと思う。


ホームアンドアウェーで国も地域も活性化

番組では、ホームアンドアウェーの仕組みによって国も地域も活性化するという話があって、これも面白かった。特にアウェー観戦が大事。よそにいくことによって、自分たちの地域の良さが分かる。それによって自分たちの地域に愛着がわいて、また発展していく。なるほどーなと思った。あと、よそに行くことで、自分たちの文化だけでなく、多様な文化があるという視点を理解しやすくなるんやないかなーとも思った。


スタジアムに行くまでもサッカー観戦です

あと、スタジアムに行くまでの時間、キックオフまでの時間も含めて大事という話も面白かった。特に、番組の勝村さんのパーソナリティーの話。プレミアの試合を見に行った時に、スタジアムまで歩いて30分かかると言われ、「うわーっ」て言うと、「バカお前30分サッカーの話できるんだぞ」と言われ、なるほど、そこが違うなーと思ったという話。


そういう意味では、フロンターレの試合を見に行くのは面白い。スタジアムまでの道のりがお祭りみたいになってて、通ってるだけでなんか楽しくなってくる。FOOT x BRAINのこの回の次の回が、フロンターレの回やったんやけど、それについての勝村さんのコラムで次のように書かれていた。

フロント、チームが一丸となって、川崎という大地に、フロンターレの根をはろうと必死に戦っているのである。

フロンターレは、川崎を心から愛し、サポーターを心から愛し、常に相手の目線で行動しているのだ。
出典:FOOTxBRAIN 勝村政信コラム

こういうのが、試合だけでなく、スタジアムの周囲に表れていて、楽しい雰囲気を作り出してくれているのかなーとも思った。


サッカー好きが集まった時の空気

最後に、ゲストで出ていた都並さんが、サッカー好きが集まった時の空気について語っていた。皆サッカーが好きで集まったらサッカーのことを語り合っている、そういう雰囲気が幸せでしょうがないという感じの話。全く同感。サッカー好きの友だちと集まるとずっとサッカーの話ししてても飽きんし、初対面の人とでもお互いサッカー好き(特にJリーグ好き)やと楽しくなる。サッカーの持つ力って偉大やなーと改めて感じた。

専門的な話をスラスラと読ませてしまう比喩の力 - 「生命の跳躍」







ニック・レーン「生命の跳躍――進化の10大発明」を読み終わりました。内容も面白かったんですが、比喩の使い方がとても興味深かったです。美しい比喩とはこういうことかと感じた本でした。

内容について

生物の進化における革命を10個選んで解説していった本。10の革命は、生命の誕生、DNA、光合成、複雑な細胞、有性生殖、運動、視覚、温血性、意識、死。



生命がいかにして生まれたかというところから、複雑さを増し、運動や視覚といった能力をどのようにして獲得していったかということが、さまざまな研究結果を踏まえて解説されています。



筋肉と未来都市

生物と化学の基礎的な知識がないと結構難しい箇所がありましたが、それでもスラスラと読んでしまいました。それは比喩が上手かったからだと思います。



例えば、第6章「運動」で、筋肉が働く仕組みについての説明していますが、ここでは次のような表現が使われていました。

「あなたの体をATP分子のサイズに縮めたとすれば、細胞はまるで未来の巨大都市だ。どこをむいてもはるか彼方まで莫大な数のケーブルが延び、それらがさらにたくさんのケーブルで支えられている。細くて切れそうに見えるものもあれば、とても太いものもある。この細胞という都市では、重力は無意味で粘性がすべてで、そこらじゅうで原子がランダムに揺れている。体を動かそうとしてもまるで糖蜜に絡めとられたように動けず、それでいていっせいに四方八方からたたかれ小突かれる。そして突然、このとんでもない都市を突っ切って、驚異的なスピードで奇妙なマシンがやってくる。1本のケーブルを軌道として機械の手でたぐっているマシンだ。この疾走するマシンに、ばかでかい物体がかさばる連結装置でつながれ、高速で牽引されている。その行く手にいたら、空飛ぶ発電所にぶつかることになるだろう。じっさい、まさしく空飛ぶ発電所だ。これはミトコンドリアで、都市の反対側にある仕掛けを動かしに行く途中なのである。ほかにもいろいろなものがみな同じ方向へ向かっているのが見える。あるものは早く、あるものはゆっくりだが、どれも空中の軌道に沿って同じようなマシンに引っ張られている。そのとき、ドン!ミトコンドリアが通過すると、あなたは乱流に巻き込まれ、きりきり舞いさせられる。あなたは、すべての複雑な細胞で絶えず中身をかき混ぜている流れ、細胞質流動の真っ只中にいるのだ。」(p246)

これを読むと、映画のワンシーンのような風景が目に浮かびました。この箇所は、筋肉が働く仕組み、フィラメント滑走説(滑り説)と呼ばれる説についての説明です。



ケーブルとして例えられているのは、筋収縮において利用されるアクチンとミオシンという二種類の分子です。太い方がミオシン、細い方がアクチンでどちらも長い繊維を形成しており、平行に並んで束になり、垂直方向の架橋によって結ばれると解説されています。



そして、架橋は固定されているのではなく、振り子のようにスイングして動くたびにアクチンをすこしずつ進ませることが述べられています。このことが、ケーブルによる移動という比喩によって説明されているのです。



筋肉とヴァイキング

また、上で説明したのと同じ仕組みについて、次のような比喩も用いられています。

「まるで北欧のヴァイキングが水を切ってロングボートを進ませる」
「実のところ、ヴァイキングのロングボートに似ている点はこれだけではない。漕ぎ方が荒っぽく、ひとつの命令だけに従おうとはしないのだ。電子顕微鏡のでの観察から、何千もの架橋のうち、揃って漕ぐのは半数にも満たず、大半はいつもオール(櫂)をめちゃくちゃに動かしていることがわかっている。それでも計算してみると、たとえばらばらでも、そうした小さな動きが合わされば、筋収縮の力全体を説明できるほど強いものになることが証明できる。」
(p235)

この比喩なんかも、筋肉の中でヴァイキングが動いていると思うと読んでいて楽しかったです。



遺伝子配列とオペラ

その他、遺伝子配列について、次のような比喩も用いられていました。

「遺伝子配列は平面に続く文字―まるで音楽のないオペラの台本―になるが、結晶構造解析はタンパク質の立体構造―荘厳な本格的オペラ―を描きだす。かつてワーグナーは、音楽はオペラの歌詞から生まれなくてはならない、歌詞が先だと言った。しかしワーグナーは、彼のゲルマン人らしい頑固な気概だけで人々に記憶されているわけではない。彼の音楽こそが生きつづけ、後世の人を楽しませているのだ。同様に、遺伝子配列は自然界の「歌詞」だが、タンパク質が奏でる真の音楽はその形状にひそんでいる。そして自然選択を生き延びるのは、その形状なのだ。」(p250)

これも非常に面白く、美しい表現だと思います。



比喩の力と著者の勇気

純粋に生物学的な説明の部分だけを読むと、文字としては理解できてもイメージがなかなか入ってきませんが、上のような比喩だとイメージがつかみやすいです。このおかげで、細かい生物、化学的な説明が分からなくても小説を読むようにスラスラと引き込まれて読んでしまいました。



比喩にすることによって厳密な意味での正確さは欠くかもしれませんが、それによって分かりやすさは格段に増していると思います。細かい正確さを捨てて分かりやすさをとった著者は勇気があるし、すごいと思います。



読み終えてみて感じる不思議さ

読み終えると、生物の進化のダイジェストを見た感じがして、改めて今こうやっていろんな複雑な生物がおるのってホントに不思議やなーと感じました。月並みですが、今ここに自分がいて、こうやってブログを書いたりしていることの不思議さも感じさせてくれる本でした。

ハイパーリンクの発想は欧米式のパラグラフライティングがベースにあるのかもしれない

加藤恭子「言葉でたたかう技術 日本的美質と雄弁力」という本を読んでいる中で思った話。

「パラグラフ」の重要性

著者の方が、戦後すぐにアメリカに留学した時の話で「パラグラフ」(段落)に関する話が印象に残りました。著者が、大学院で先生に徹底的に教えられたのがパラグラフの重要性です。具体的には、次のように構成していくことが求められていました。


論文全体の構造

  1. 導入部分(序論)
  2. 主要部分(本論)
  3. 結論部分(結論)



パラグラフの構造
 (A)トピック・センテンス
 (B)主要部分
 (C)結論センテンス


論文全体もパラグラフも構造は同じです。主題を述べ、それを受けて議論を発展させて例証し、結論を述べる。本書では次のように述べています。

「論文全体の序論、本論、結論の縮図が、一つ一つのパラグラフにも見られるのである。基本的構成は同じということになる。」(p75)



こういう論文の書き方が、著者が勉強していた日本の大学での論文の書き方と大きく異なっており、指導教官の方からは厳しい評価を受けます。その話はその話で面白かったので別途まとめたいと思いますが、ここではパラグラフ間の関係についての話が特に印象に残りました。


パラグラフライティングとハイパーリンク

論文全体の中で、第一パラグラフは全体の導入部を担うと同時に、パラグラフ内にはトピックセンテンス、主要部分、結論センテンスを持っています。第一パラグラフの結論センテンスを受けて、第二パラグラフのトピックセンテンスが始まります。このあたりについて、著者は次のように説明しています。

「次に第二パラグラフに移るのだが、いきなりぽつんと(A)のトピック・センテンスが出てきてはいけない。第一パラグラフのアイディアを、第二パラグラフへつなげる、つまり"リンク"が必要である。そのためには、第一パラグラフの最終センテンスのアイディアを、第二パラグラフのトピック・センテンスに取り入れる。そして、そのパラグラフも、(B)主要部分、(C)結論センテンスへと進む。」(p76)



ここを読んだときに、あれ、どっかで見たような話だなと。具体的には、「リンク」というキーワードに引っかかったんですが、これって、Webのハイパーテキストハイパーリンクと同じような話じゃないかと感じました。パラグラフ間をリンクさせるっていう話が、ハイパーリンクでWeb上のテキスト同士をリンクさせるっていう話を同じ構造になっています。


こういうパラグラフライティングの発想がハイパーリンクの発想にもつながってるのかなーとふと思ったのでした。そうすると、ハイパーリンクの考え方って欧米の方が出てきやすい土壌があったのかなーとも思います。振り返って、日本における文書の作り方ってどうだったんやろうかというところも気になるところです。ぼんやり考えてみたいところです。

会議に効率性・生産性が必要でない時(「iモード」事件に学ぶ)

効率性や生産性をあえて求めない方が良い

以前会議をなんとか効率化しようとして、会議関連の本をたくさん読み漁ったことがあります。しかし、最近よく考えることですが、会議に効率性や生産性をあえて求めない方が良い場面があると感じています。


効率性や生産性が必要な場面とそうでない場面があるのです。こう書くと当たり前のような感じがしますが、しゃにむに効率化しようとしてもうまくいかないというか、逆効果になる時があるのです。

iモード立ち上げ時の会議の話

iモードを新規事業として立ち上げた時の話を元にした本、「iモード事件」にも次のようなことが書いてありました。コンテンツの検討をする際に、ドコモ外部から、放送作家、プロデューサー、シナリオライター等の人に集まってもらってブレストをやった時の話です。

「「会議」や「話し合い」に効率や生産性を重視する人にとっては、確かに無駄な会話にしか聞こえない。でも私はこんな無駄話から「これだ!」というものが出てきた瞬間に何度も出会っている。まだ何も始まっていないからこそできるこの柔軟な雰囲気を大事にしたかった。
 彼らと一緒に話をし、業界の打ち明け話を聞き、冗談を返したり、再びまじめな話に戻って喋っているうちに、脳がどんどん元気になっているのがわかる。」
松永真理iモード事件」p87)

ドコモの若手にとってはブレスト自体が初めての経験であり、マッキンゼーから入っていたコンサルタントも面食らう中、話題も人も入れ替わる中話が展開していきました。そんな中、何気ない会話の端に出てきた「コンシェルジュ」という言葉をキーワードとして拾い、方向性が見えてきたという話でした。


この感覚、すごくよく分かります。自分は新規事業に関わっているので特にそう感じるのかもしれません。会議を効率化しようとすると、余裕がなくなり、話が盛り上がっても無理に時間を区切ったりして、アイデアがしぼんだり、ちょっとぎくしゃくした感じになる時も出てきます。


イデアが重要な場面では、時間を区切らず、効率や生産性を気にせず、流れるままに会議を進めた方が良い場面もあると思います。「iモード事件」の別の場面でも次のような話がありました。これは、会議の司会進行をマッキンゼーの人からドコモの若手に変えた時の話です。会議の時間という意味での効率は悪くなったものの、他のメンバーから活発に意見が出るようになったことを踏まえての言葉です。

「すぐに答えは返ってこない。それでも榎は根気よく意見を聞きだしている。会議の時間はマッキンゼー主導のときより、だいぶ長くなっていった。
 長過ぎる会議は、効率を考えると決してベストとはいえない。けれど、こと新規事業においては効率だけを重視していると、事務的な連絡事項だけに終始してしまい、議題についてメンバーが真剣に考える機会がなくなる。事業が膨らんでいかないのだ。」
松永真理iモード事件」p115)

事務的な連絡事項だけに終始する会議は無味乾燥なものになってしまいます。相手の話を聞くだけで終わり、コミュニケーションが一方通行になってしまいます。これではチームで仕事をしている意味がかなり無くなってしまいます。


新規事業やプロジェクトのキックオフなど、お互いの意見やアイデアを交換しながら新しいものを生み出していく、そういった作業が必要な場面では、あえて会議の効率性を気にせずに進めていくことが大事なのではないかと感じています。


もちろん、会議の効率化がまったく必要ないかというとそうではなく、要は場面に応じた使い分けが大事なのです。話すことが決まっている定例会議などは、効率化した方が良いと思います。しかし、何を話すのかすら決まっていないような場面では、四角四面に型にはめてしまうのではなく、話をいろんな形に引き伸ばしながら進めた方が良いものを生み出せるのではないでしょうか。このトピックについてはまた今後も考えて行きたいと思います。

惚れ込むべきは商品でなく顧客、売っているのは商品ではなく解決策





表題の話は、「ハイパワー・マーケティング」という本に書いてあった内容です。他の本にも似たようなことは書いてありますし、言われてみれば当たり前の基本なんですが、ついつい忘れがちなので、改めてメモっておきたいと思います。

愛着を持つべきなのは自社の製品・サービスではなく顧客

自分が売っている製品やサービスは、最終的には顧客の役に立ってこそ意味があるものです。ですが、ついついどうやって売ろうかということに意識がいってしまいます。本では次のように述べられています。

「たいていの人ならこう考える。
 「買ってもらうには、何ていえばいいだろう?」
 こう思う代わりに、あなたはこういうべきなのだ。
 「私はクライアントに何を与えられるか?私が与えるべき利益は何か?」」
((ジェイ・エイブラハム「ハイパワー・マーケティング」p69)

どうやって売ろうか、どうやって買ってもらうかという時点で自社の製品やサービスの視点からの考え方になってしまっています。そうすると、どうしても自社の製品やサービス中心の考え方になってしまい、顧客への意識がおろそかになってしまいます。

「多くの人々が犯している致命的なミスは、間違ったものに愛着を持っていることである。
 具体的にいえば、自社の製品、サービス、自分の会社に惚れ込んでいるのだ。
 あなたは、自分の製品やサービス、または会社を盲目的に信じているに違いない。しかし、本当に愛着を持つべき相手は、あなたのクライアントなのだ。」
(ジェイ・エイブラハム「ハイパワー・マーケティング」p69)



売っているのは商品ではなく「問題の解決策」

もう1つ忘れがちなのが、顧客が必要としているのは「問題の解決策」であって商品ではないということです。よく引き合いに出される例としては、顧客はドリルを必要としているのではなく、穴をあける手段を必要としているというやつです。これに関連して次のあたりが参考になります。

「自分が実際に売っているものが、商品ではなく「問題の解決策」であるとは思いもよらないのだ。」p78

「クライアントは単に製品やサービスを買うのではない、「最終結果」を買うのだ。これは、見落とされがちだが、大事な事実である。
 製品やサービスを買うのは、クライアントがそれによって、より高い利便性や安全性、娯楽性、経済性、達成感が得られる、または単に自尊心を充たす、と信じているからだ。」
(ジェイ・エイブラハム「ハイパワー・マーケティング」p124-125)

これも最初の点と共通する話ですが、顧客にとって何が良いのかを出発点に考える必要があります。さらに、単に商品やサービスが直接的に与える影響だけでなく、顧客の生活や人生に与える影響まで視野に入れて考えられるとベターです。

「モノだけにとどまってはいけないのである。クライアントの生活やビジネスに貢献しようと努めるのだ。
 自分のビジネスについて誇れる部分をじっくり考えてみよう。
 コンピュータを販売しているなら、ある企業が、あなたのところのコンピュータを買ったため、今では効率よく業務が行えるようになった、という事実に注目しよう。コンピュータ導入のおかげで、その企業の経営者や幹部は経費や時間、そして、たくさんの無駄を削減できたはずだ。三人でやっていたことを今では一人でできる。あなたの販売したコンピュータがそれを可能にしたのだ。
 あなたの製品やサービスがもたらす貢献度や利点に注目するのである。製品やサービスの物質的なモノの価値を考えるだけでは足りないのだ。」
(ジェイ・エイブラハム「ハイパワー・マーケティング」p184)

ドリルの話であれば、穴をあけるのは何のためかを掘り下げ、それが与える影響まで視野に入れる。例えば、棚を作るための穴であれば、その棚があることによって、部屋の荷物をきれいに整頓できて広く使えるようになり、ゆとりをもった空間づかいができるといったところまで考えてメッセージを出す(もっと掘り下げられますが)。そうしていくと、自然にもっと良い結果が得られると思います。


そこで大事なのは、自社の製品やサービスを手段として、顧客の悩みや課題を解決し、それを通じて皆の人生を豊かにするという気持ちを持つことです。本では次のように述べられています。

「ビジネスの成功は、他の人の問題を解決してあげようと願う気持ちから始まる。そうしていくうちに、クライアントの人生を豊かなものにし、その結果、自分自身の人生や、周りの人、つまり、家族や従業員、雇い主などの人生も豊かになる。
 ビジネスの世界に身を置くなら、ただ、お金を稼ぐためという以上に、もっと高い目標があると肝に銘じなくてはいけない。他の人の抱えた問題を解決する手助けをし、選択肢をできるだけ広げてあげ、それを実現する方法を見つけるのに手を貸してあげられる人になるのが、あなたの目標であるべきなのだ。その高い目標を理解しない限り、あなたは、決して自分の可能性を利用できるようにはならない。
 反対に、その目標を納得できれば、自分が人に与えられる影響に気づく。そして、積極的な反応、積極的な行動、よい結果が得られることに気がつく。
 不動産業者との私の話を思い出してほしい。
 彼らは、自分たちは、ただ家を売っているのではない、と気づいた。クライアントの人生をよりよいものにしているのだ。その結果、自分の人生も、家族や同僚の人生もよいものにしている。これが、よい結果でなくて、何だろう?誰にとってもよい結果である。」((ジェイ・エイブラハム「ハイパワー・マーケティング」p76)

自分は業務効率化、生産性向上に役立つクラウドサービスを売っているわけですが、単に業務効率化といってもあまり響きません。業務を効率化したその先に、顧客のビジネスがどう広がるのか、働き方や人生がどう変わるのか、そういったところまで視野に入れてメッセージを発信していかないとなと肝に銘じ直しました。

ニッポンの押しつけの上をいくローカライズ―東京ガールズコレクション

ファッションにほとんど興味がない自分でも名前くらいは聞いたことがある「東京ガールズコレクション」。ファッションショーには興味がないんですが、たまたま「TGC北京に見る、ニッポン・ブランドをローカライズする重要性」という記事を見つけ、「ローカライズ」というキーワードは気になるところなので読んでみました。これが面白かったのでメモっときます。


記事はこちら↓
TGC北京に見る、ニッポン・ブランドをローカライズする重要性


記事の書き出しで

日本では、ファッションへの興味がなくとも十分な知名度をもつ
ファッションショーが東京ガールズコレクション

と述べられていて、自分のことか!?と思いつつ読み進めると、今回の北京開催では、日本、中国、韓国、香港、台湾の5つの地域のモデルが起用されたことが紹介されていました。


これまでは日本人モデルが出演し、日本以外の4つの地域の人からは自国とは違うファッションブランドという認識だったのが「どんな地域であっても、自分にあったスタイルでファッションを楽しめる」という方向性で展開し、「地域を越えて共通する“憧れ”」として受け入れられたことが述べられていました。


日本のものをそのまま外国に持っていって、日本のものとして紹介するだけではなく、より包括性の高いコンセプトまで昇華しているのが興味深いです。


元々の「日本のリアルクローズを世界に」というキャッチフレーズでは、「日本」の「キレイ」と「かわいい」を世界に持っていくというコンセプトですが、それだけでなく「普段着をキレイでかわいくコーディネートできる」という日本だけにとどまらない万国共通のコンセプトを組み合わせることでコンセプトの適用範囲が広がっています。


もちろん、それによって、元々の日本の特性を活かすという部分は多少中和されてしまうのかもしれませんが、逆に日本だけにこだわっていても別の地域では受け入れられないように思います。


記事でも「“ニッポン”の単なる押しつけに見る限界点」として次のように述べられています。

ニッポン・ブランドのなかには、
日本独自の文化や伝統を重んじることが大切であり
そのままの形で世界へと発信していくことが重要な例もあります。


しかし、今回取り上げたように、
日常で身近な存在のファッションにおいて
“ニッポン”を単に押しつけても、流行は限定的です。


日本から生まれた「キレイ」「かわいい」というファッションは、
地域は違っても、同じ感覚に共鳴する世代に受け入れられてこそ
世界にリアルクローズを発信する意味がある。


本質はそのままに。消費者の側に立ってローカライズする。


今後も、多種多様なニッポン・ブランドが発信されていく上で、
東京ガールズコレクションの事例は、
発信者が選択肢として認識しておくべき視点といえるでしょう。

日本の製品やサービスの海外進出を考える際に参考になる事例だなと思うので心に留めておきたいと思います。


その他、青森リンゴ「大紅栄」の中国輸出の事例も紹介されていましたがこれも面白かったです。別に宣伝ではないですが、このメールマガジン結構面白そうなので購読してみます。