第3回リベラルアーツ教育によるグローバルリーダ育成フォーラム「5000年史 Part. 2」のまとめ

1月22日に行われた「第3回リベラルアーツ教育によるグローバルリーダ育成フォーラム」に参加してきました。非常に面白かったので覚え書きとしてまとめておきます(遅くなりましたが、、、)。


感想も色々あるので、そちらはまた別途分けて記事を書きたいと思います。まずは以下まとめ。講演の後にWikipediaや本で仕入れた情報も適宜追加しておきます。


※内容に間違い等があった場合はすべて私の責任です。念のため。

講演の概要

講演者:ライフネット生命保険(株) 出口治明 代表取締役社長
講演タイトル:『5000年史 Part. 2』


以下、講演の内容です。


5000年史を学ぶ目的

人間がこれまでにやってきた色々なことを学んで失敗しないようにする


パート2の要約

BC1000年から紀元元年までの1000年間

  • 世界帝国の時代
  • 知の爆発



世界帝国の時代

アッシリアの発展

アッシリアがだんだん大きくなってきて、エジプトとメソポタミアを含む地域を統一。
有名なのはアッシュルバニパル王。文武両道。像を見ると、ペンと剣の両方を腰に差している。
ニネヴェの図書館を作るなど、教育にも力を入れる。


しかし、国が大きくなるとどこかに無理が出てくる
4つに分裂…リディア、カルデア、メディア、エジプト

アカイメネス朝によるグローバリゼーション

ダレイオス1世…傍系、簒奪者

「近年の研究によって、王朝の創始者であるキュロス2世の直系から、アケメネス朝の4代目とされるダレイオス1世が帝位を簒奪したことがほぼ明らかになっている。つまり連綿と続く王朝ではなく、キュロスの王朝とダレイオスの王朝に二分されているというのが実相であった。」
Wikipedia「アケメネス朝」より引用



言葉の統一
 自分のペルシア語に固執するのではなく、一番多いアラム語公用語


統治制度
 現地の王を尊重する。
 ただし、勝手なことをしないように監察官を派遣。
 ローマの原型となることをほとんどやっていた。


アレクサンドロス大王

ペルシアの簒奪者
→ヨーロッパの視点から見ると、栄光のアレクサンドロスという見方が多いが、そうではない

アレクサンドロスはダレイオス3世の息女と結婚し、アケメネス朝の統治制度をほぼそのまま継承しようと試みていた。なお、アレクサンドロスもそうだったが、アケメネス朝の君主たちも古代エジプトを征服した後にファラオを任じていた。」
Wikipedia「アケメネス朝」より引用



ギリシアから東へ進出
出口さんが中学生の時の疑問
 東へ進出するのに10年かかっているがこれはなぜか?
 こんなに長い間、戦争ばっかりやっていたら人がかなり死ぬのではないか
 ギリシアマケドニアから援軍が次々と補充されていった
 ←なぜこの援軍を送れたか…ダレイオスの作った道があった
  このように前時代の遺産を引き継いでいる


アカイメネス世界帝国の崩壊

→ローマの台頭
ディアドコイ戦争による分裂
パルティア→ペルシアの復権


アッシリアで始まった帝国
→ダレイオスが骨格を作り→ローマに引き継がれる


大きい帝国ができると
→周りの国も外敵に立ち向かうためにまとまる

インドの統一

地理的条件
 横に長い→移動が簡単
 縦に長い→移動が大変。気候が違う、病原菌も違う
 ⇒縦に長いインドは、本来は地理的条件から言えば統一しにくい


マウリヤ朝による統一
 インドのような地形が複雑なところで帝国ができる理由
 →外圧があった。また、アレクサンドロスのようなのが来たら困る。


中国の統一

エジプト、メソポタミア、インドの統一より遅い
←海をいくのは簡単だけど、陸をいくのは大変


BC500頃 鉄器が普及
→高度成長 戦国の七雄
 始皇帝がやったことはダレイオスがやったこととほとんど似ている
 文字、度量衡の統一、車軌の統一等々


ちょうど、出口さんの著書の「「思考軸」をつくれ」で紹介されている「遊牧民から見た世界史」を読んでいたら関連する内容があったので引用しておきます。

「目を三〇〇年ほどのちの東方に転じて、つぎに触れる秦の始皇帝による統一化政策など、まったくといってよいほどこのひき写しである(というよりも、その半分もなされていない)。ほぼ一代でなしとげられたといっていい国家建設の壮大さ、根本性において、世界史上、ダレイオスに比肩できるのは、ひょっとして後述するクビライくらいかもしれない。ふたりとも、国家の創業者ではなく再建者であったこと、それぞれの当時に知られていた「世界」をまるごと組織化しようとしたこと、軍事・政治とともに経済のきわめて重視したことなど、共通点は多い。海への視野や、海軍建設なども、そうである。」
杉山正明遊牧民から見た世界史」p121-122)



ダレイオス vs スキタイ
≒中国 vs 騎馬民族


秦の始皇帝
3時間しか寝ない。天才的な人間。
ただし、天才が死んだとたんに国が滅び始める。


始皇帝の骨格を引き継ぐ
アレクサンドロスと一緒でほとんどオリジナルなことは何もしていない。
秦漢帝国とまとめた方が適切。
始皇帝が作った枠組みが50年くらいしてようやく回るようになってきた。
漢の建国当初は、始皇帝が作った枠組みを無駄にせずに活かすように戦争しない。匈奴服従


文景の治
→お金がたまってくる


武帝の時代
始皇帝と張り合う。匈奴大戦争して勝ってしまう。
この時代に司馬遷史記ができたが、なぜその中で始皇帝のことを悪く言うかというと、武帝の考えが反映されている。


書かれたものは、誰がどの時代にどういう思考でどう書いたのかを読み取ることが必要
日本では史記の評判が高いので、始皇帝が暴君に見える


武帝が死んだ後は漢はガタガタになる


西暦元年のGDP

漢…26%
インド…33%
パルティア…10%
ローマ…17% (半分はエジプト)


インドはパルティアとローマ、中国の間で貿易、ピンハネ


ローマはアウグストゥスの時代
西洋中心から見ると、ローマがアメリカのような大帝国だったと「錯覚」を持つ。
しかし、これを見るとローマがなぜペルシアとの戦争に苦戦したかが分かる。


知の爆発

※話した順とは入れ替えて、地域ごとにまとめます。

前史

西周の滅亡&東周の成立
→広域的な漢字圏の成立


どういうことかというと…
西周は、殷の時代の感じの読み書きを一人占めしていたが、滅亡したため、文字を書いていた人が職を失う
→それまで高い給料をもらって文字を書いていた人が地方の王様のところに行って雇われるように
 地方の王様のところには、周の王様から送られた青銅器がある
 青銅器には、周の歴史、文王・武王の治のすごさが文字で書かれている
→地方の王様はそれを読んで、周の王様はやっぱりすごい、かなわんと思う
中華思想の始まり、中国という概念


このあたりの話は出口さんのコラムに詳しいです。

「一言で要約すれば、漢字のおかげで、周囲が、中央(中華)を、勝手に『偉い人だ』と錯覚してしまったという訳です。」
「【中国がわかるシリーズ】中華思想とは何か、淵源の有力説は…」より引用



戦国時代
 自然破壊と文書行政
 書記はそれまで祭祀官が行っていた。青銅器に文字を彫って先祖をまつっていた。
 →書記が官僚になる
 →雇われるのが気に食わない人は野に下る→諸子百家


法家の大きな影響
 斉の稷門→たくさんの書生
 孟子人民主権禅譲放伐


隋の煬帝と唐の李世民
 今の評価はどちらも優れた皇帝
 しかし、易姓革命思想により、その王朝の最後の皇帝は悪く言われる
 →煬帝は悪い皇帝として扱われていた


聖書の誕生

バビロン捕囚…エジプトだけでなくいろんなところでやってる
キュロス2世による捕囚が終了し、連れてこられた人が元の場所に戻れるようになった。
しかし、すでに80年経っている=当時の寿命を考えるとすでに3世代くらい経過している。
田舎(エルサレム)から東京(バビロン)に連れてこられたようなものなので、皆帰ろうとしない(三重の美杉村から東京に来たようなもの)。
その中で帰った人はユダヤ人という意識が特に強い人だった。
他の人は、政権が寛容なため、ユダヤ人という意識がどんどん薄くなる。
→帰った人はこのままだとユダヤ人というアイデンティティがやばいと考える
アイデンティティの確立のために聖書


なお、ダビデとソロモンの頃のエルサレムは人口500人いたかどうか
西洋中心だと見えてこない


ギリシアルネサンス

フェニキアへの対抗
自分たちのアイデンティティの必要性
イーリアスオデュッセイアの成立
ギリシア人としての自覚が高まる


ギリシア哲学
タレスピタゴラスヘラクレイトス
イオニアの自然科学
これらの人は外ばかり見てる
ソクラテスの転回…汝自身を知れ


インド

BC600
ウパニシャッド哲学
アーリア人の因果応報と輪廻思想の融合


62見 イオニアの自然科学者と同じ頃、ギリシアと同じ頃
アジタ・ケーサカカンバリン


ゴータマ・シッダールタ
マハーヴィーラ
なぜこれらの人々の考えが市民階級、豊かな農民階級に受け入れられたか
殺生しないという思想が牛を殺したくないという利害に一致
バラモン教では牛を殺す


日本に伝えられた仏教はブッダとは直接はほとんど関係ない
弟子や後世の人がまとめたもの


歴史は古いものほど新しく書かれる

自分の家の歴史を書くことを考えると
まず自分→父→祖父→その前
という順で書く


Q&A

Q:シャルルマーニュがなぜ強かったのか?
A:交易、アラブ人


Q:後継者を育てるのに優れている制度は?
A:チベットダライラマ
  決めた方角で優れている一族の子供を後継者にする
  ←このやり方なら最終的には誰が後継者になっても優秀


成り上がりを保つ仕組みが重要


Q:秦が最終的に統一できた理由は?
A:大きく2つ

  1. 法治国家
  2. 国力が違った

 領土が元々大きい
 合従連衡やっている間に四川省をとってしまう
 四川省は豊かなところ
 国力として3倍くらいの差が出てくる
 統一の100年くらい前には皆統一するのは秦だと思っていた→合従連衡
法治国家GDP


Q:今の日本は第3千年紀でいうと?
A:インド
ペルシアと中国の間でラッキーなポジション
ちゃんと政治をして少子化対策をすればうまくいくはず
水とごはんに強い
中国とアメリカをごはんでつれば良い


Q:(すみません、忘れました)
A:ダレイオスをみると人種の発想はほとんどない
 昔の方がグローバル


まとめは以上です。まとめだけで結構長くなってしまったので、感想はまた別途書きたいと思います。