「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘」の感想
■この本について
水木悦子・手塚 るみ子・赤塚 りえ子「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘」
- 作者: 水木悦子,手塚るみ子,赤塚りえ子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2010/02/10
- メディア: 単行本
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仕事や作品についての話も出てくるけど、父親としての姿、音楽についてなど、娘さんでしか語れないような内容が面白いです。以下、特に印象深かった点について。
■娘が選ぶ父の傑作漫画のセレクト
本の中で、一番面白かったのがこのコーナー。自分が持っていたイメージと異なる作品ばかり。作品自体も面白かったけど、そのセレクトも面白かったです。3人のセレクトは次のとおり。
水木しげる「猫」
猫がしゃべりだして、猫と人生について語るという話。設定はシュールですが、人間あくせくして働いて何が良いんだっていうところは身につまされます。
赤塚不二夫「レッツラゴン」 カテゴリーとしてはナンセンスギャグになるんでしょうが、娘のりえ子さんが 「いまも「レッツラゴン」を読み返して、声上げて笑ってます!」と紹介しているとおり、声出してしまうほど面白かったです。「笑う」という生きるエネルギーを与えてくれるというのもうなずけます。
内容は、炎天下の中にちゃわんむしが置いてあって、その中に虫が入っていて「むしますねえ」という絵だったりと、 文字で書くとくだらなく見えちゃうんですが(笑)、これが赤塚不二夫さんの手で漫画になっていると面白いんです。これは図書館で借りるなり、買うなりして読んでみようと思った作品です。
手塚治虫「ペックスばんざい」「昨今の手塚治虫に対する”子供に読ませたいマンガ”という教育的イメージをあえてくつがえしたく選んだ作品」とのるみ子さんの言葉どおり、手塚治虫さんはこういう漫画も描いていたんやーとちょっと意外だった作品。性器そのものを生き物にしてしまうという荒唐無稽なユーモア。シモネタだけど、生命への深い愛情が表されているとの紹介のとおり、下世話な感じではなくむしろキュートな感じでこれもまた面白かったです。有名どころ以外の手塚作品も読んでみようと思わされました。
■父への愛、父からの愛「超」がつくような忙しさの中で仕事をしているとはいえ、娘からすれば一人の父親。その視点での話は、遠慮がないけど、温かい。それは本の冒頭の手塚るみ子さんの次のような言葉にも表されています。
「娘というのは、遠慮なく父親を裸にします。それは時に残酷なほどで、これまで水木、赤塚、手塚と、仕事を通じて接してこられた方たち、また多くのファンの方々にしてみれば、耳を塞ぎたくなることかもしれません。けれど「父と娘」だからこそ見えてくるもの、感じられるものは、他の誰にも語れません。どんな評論よりも、それは厳しく愛に満ちているのです。」(p7)
手塚さん、赤塚さんは、それぞれの父親とあまり話したことがないということが語られていますが、その中でも父親らしい姿も。手塚さんが中学生の頃、吹奏楽部の定期演奏会があると、忙しい中でも手塚治虫さんは足を運んでいたそうです(p86)。
特に、雑誌での手塚治虫さんの対談から引用されていた言葉が印象的でした。
「頭ごなしにこれをしちゃだめ、あれをしちゃだめと言うとそこで子供の気持ちは止まってしまう。とりあえず好きなように、子供が納得するまでやらせる。もし迷っていたら拾ってあげる。それが親の役目だ」(p87)
さらに読んでいく中で、ただの父と娘という関係以上に、「有名漫画家の」父と娘という関係。父親との距離感のとり方に葛藤があったことも述べられていました。
例えば、手塚るみ子さんの場合、「手塚治虫のマンガをなんとかしなきゃ」という想いがある一方、「面倒くさいな、自分はこんなことしないで自由にやっていたいな」という想いもあった中で、関わりを続けていくうちに、「音楽を通して手塚作品を表現するっていう作業を続けていくうちに、だんだんと解消」されてきたということです(p195)。
読み始めの頃は、お父さんが有名で大変やろうなーという程度にしか感じていなかったけど、簡単な言葉では言い表せないような葛藤があって、その上で距離感をつかんでいる様子が印象的でした。
また、娘さんしか語れないような人間くさい話も面白かったです。例えば、手塚治虫さんの書斎の机を展覧会に出品するときに整理したら、なぜか引き出しからパンツが出てきたという話や、水木しげるさんが文壇バーに行って女の人にくっつかれてドギマギしている話など。文壇バーの話では、娘の悦子さんが、「どうだったの?」と聞くと、「女がお父ちゃんにぴったりくっついて、酒をついでくるんだ!」って嫌がってたというエピソードも紹介されていました。
その他、音楽の話も。水木しげるさんがM・C・ハマーやボブ・マーリーも聞くという話や、赤塚不二夫さんがジャズが好きかと思いきや、美空ひばりさんの大ファンでジャズ関連の取材が台無しになっった話等。これらだけでなく、愉快なエピソードが各所に出てきて、読んでて飽きませんでした。
■父の作品に対する想い対談を通じて、父の全人間像を知ってほしい、という想いが感じられます。その背景には、今も新しい漫画がどんどん出てくる中で、大御所とは言え意外と読まれてない現実や、名前は知ってるけど読む手前で興味が止まっちゃうという危機感があるようです。それは次のようなそれぞれの言葉にも表されています。
「わたしも知ってもらいたいと思う、こんなに面白いのに。」(p199)―赤塚りえ子さん
「作品は、その人間が生きてきた証でしょ。父がどうやって描いてきたか、骨身を削って、さんざん苦しんで、自分と戦って描いてきたわけで、作品の中にはそんな父が確に生きているんだよね、分身なんだよね。それを知ってもらいたい。その生命を手に取って見てもらいたい。」(p199)―手塚るみ子さん
「なんか水木イコール鬼太郎しかないって思われちゃってるけど(笑)。「鬼太郎以外に何描いてるの?」って聞かれて、「ええ?」って、そっか、知らないんだってちょっと思っちゃったのね。鬼太郎以外にものすごく描いているんだけど、意外に知られてなくって。」(p214-215)
(「打ち出の小槌」という作品について)「鬼太郎よりはっきり言って面白いね、うん。子供の頃も面白かったけど、大人になってからも面白い。」(p216)
−水木悦子さん
特に、手塚るみ子さんは、「世間一般で言われていることだけで判断されるのは、ちょっと残念」(p212)という言葉にも表されているように、手塚作品に対する「手塚漫画は難しい」「哲学的だ」「ヒューマニズムがどうしたこうした」という先入観を覆したいという想いがあるようです。
それは次のような言葉にも表されています。
「その人が有名になったときだけを見てても、全体が見えてこないんですよね。やっぱり、こんな面もあんな面もあるんだって。もしかしたら人気が出るとその人気に押されちゃって、その作家の本性が見えてこない部分も逆にあるんじゃないかと。だからこそ、いろんな作品、メジャーじゃないものも読んでもらって、そして初めてそこに、その人間性っていうか、人間というのは一面だけじゃないっていうのがわかる。案がいと、一番ヒットしたものが、一番手塚の本性が見えにくくなっちゃってる。あるいは、作家としてもそこはもう割り切っちゃって、自分とは切り離しちゃってる可能性がある。」(p220-221)―手塚るみ子さん
漫画家としても、一人の人間としても、新たな側面を知ることができて非常に面白い一冊でした。いろいろ作品をまた読んでみたいと思います。