日本人って単一民族なんやろか

日本に来て驚いたこと」っていうブログエントリーがあって、2ちゃんねるのスレッドが引用されとりましたが、そん中で気になったことがひとつ。


エントリー自体は、「好んで木の根を食べてること」っていう投稿に対して「はいはいゴボウねゴボウ」とか、「湯豆腐のなべの底に敷かれた謎のシート」という投稿に対して「昆布だろ」とかいうツッコミが結構おもしろいんですが、それとは別に、下の投稿が気になりました。


金持ちだろうが貧乏人だろうが大体が同じような感性や価値観・話題を持っており、ヒエラルキーを感じない社会



最近ちょっと気になっているテーマとしては、日本人って「単一民族」なの?っちゅうことです。


単一民族」って言うと、誰でんかれでん似たような価値観や考え方を持っちょるっちゅうかんじがするけれども、東京ん人と宮崎ん人が同じような考え方なのかどうなんかっちゅうと結構違う気がする。こっちへ来て、なんでそんなこと言うとけー?とか、ええーそんなん気にすっとけー?とか言うことがあったけども、価値観とかがちょっと違う気がする。


もちろん、外国にはもっと差異がある国もあるっていう話もあるとは思いますが、それはもし相対的に差異が大きかったとしても、日本人が単一ってことにはならんように思う。


この間読んだ、「ザ・ファシリテーター2」って本にもそんなようなことが書いちょった。

ザ・ファシリテーター2―理屈じゃ、誰も動かない!

ザ・ファシリテーター2―理屈じゃ、誰も動かない!



要点としては、日本人の価値観や物事に対する理解の多様性は実際は大きいのに、「単一民族」という集団催眠にかかってしまっちょってから、言葉を使わんでも分かり合えるっちゅうふうに思いこんじょるっちゅうことです。んで、この本での主張としては、本当は考え方とか違うとこあるっちゃから、空気じゃなしに言葉で色々説明せないかんのにそれをせんけん、論理的にコミュニケーションできんちゃないかっちゅうようなことでした。


自分らが単一民族、単一言語っちゅう頭があるけん、海外見るときもそんな目になりよることが多い。インドについて日本人の人と話をすると、みんなヒンディー語しゃべっとると思いよる人もおるけど、実際はメインでヒンディー語しゃべりよるのは北側の人。地域によっては全然違う言葉しゃべる。おれが行きよったチェンナイのあたりはタミル語やし。お札には14種類の言葉使ってあるっちゅうし。
そんなような話をするとたまがる人もおるけど、日本以外の地域の人にしたら当たり前んことやっちゃないやろか。


なんでこんな皆同じみたいな空気になっちょるかっちゅうのは、1つには言語が結構でかいっちゃないかなーっちゅう気がしとります。
日本やと、どこへ行っても言葉で不自由することはまずない。田舎のじいちゃんばあちゃんの言葉は分からん場合はあるやろうけど、ある程度やりとりすれば通じんことはないやろう。これに比べて、タミル州から隣の州に行ったら言葉通じんかったりするらしい。会社ん人がタクシーで別の州に行ったら、タクシーの運転手(英語しゃべれん)も行き先の人と言葉通じんで立ち往生して、結局会社ん人が英語で行き先の人とやりとりしたらしい。。
ちょっと違う場所に行ったら言葉通じんかもしらんっていう状況やと、違う文化の人と暮らしよるんやなーっていう頭になるち思う。


でも、日本語って単一みたいに語られるけど、そこで言っちょるのは標準語って言われとる日本語やろう。そうしたときに、宮崎弁とか沖縄の言葉とかは日本語のカテゴリーに入るもんなんやろか。大体東京の人が宮崎のじいちゃんばあちゃんと会話できるとは思えんし。スペイン語ポルトガル語って似てるっちゅうけど、そんくらいの差はあるっちゃないかなー。


自分が東京に来たときにあった共通語に対する違和感ってこういうところにあったんかもしらん。大体、標準語っつっても東京弁にほかならんわけやし。東京弁使いよる県人をみると、叱りたくなるねー。方言はやっぱりしっかり使っていかないかん気がする。「日本」っていう枠はあるにしても、そん中で多様性を保っていかんと、なんもおもしくねー国になるっちゃないやろか。

[日本]