流しのしたの骨

おりがみ
おりがみは気持ちの落ち着く遊びだ。
とくにはじめてのものを折る場合、本の指示に従って忠実にやることが大切なので、
集中するし、頭がからっぽになる。
いつかそよちゃんにそう言ったところ、
それじゃあそれはお菓子をつくるのと一緒ね、とそよちゃんが言った。
そうなのかもしれない。ひとそれぞれいろんなやり方があるものだ。
(p113)


万物はすべからく流転する
「広尾のクッキー屋がつぶれてた。神戸屋が二軒になってるの」
私は報告する。
「地下鉄の階段をあがるとクッキーの焼ける匂いがして、気に入ってたんだけどなあ、あれ」
「仕方ないわよ。万物はすべからく流転するんだから」
(p125)


サンタクロース
私たちきょうだいは、誰もサンタクロースを信じていなかった。
昔から。それは父と母が、そういうことを子どもに信じこませる
――あるいは、子供がそれを信じていると信じることで安心する
――趣味を持っていなかったからで、我家におけるクリスマスプレゼントには、
かならず署名がされていた。父より、とか、母より、とか、父と母より、とか。
(p145)


文化果つる場所
「ほんとうにそれだけなんだね?
お前の親切に対して相手がすすんで金を払い、学校はそれが気に入らない?」
律がきっぱりうなずくと、父もようやく気が晴れたらしかった。
「なんだ、くだらない」
それをきくと、母も私もそよちゃんも律もなんとなく気が晴れて、
そのあとはたのしく夜ごはんを食べた。(p162)


「あいかわらず、学校っていうのは不合理なところね」
(中略)
「仕方ないよ」
律が言った。「学校ってそういうとこなんだから」
(中略)
「文化果つる場所だからな」
父が言った。
(p243)


台所の扉の裏
扉の裏は包丁さしになっていて、いろいろな包丁がぶらさがっている。
扉のなかは暗く、屹立した壜のわきに水道管がとおっていて、
寒々しく、不穏な感じだった。(p253)


よそのうち
よそのうちのなかをみるのはおもしろい。
その独自性、その閉鎖性。
たとえお隣でも、よそのうちは外国よりも遠い。
ちがう空気が流れている。
階段のきしみ方もちがう。薬箱の中身も、よく口にされる冗談も、タブーも、思い出も。
それだけで、私は興奮してしまいます。
その人たちのあいだだけで通じるルール、その人たちだけの真実。
「家族」というのは小説の題材として、複雑怪奇な森のように魅力的です。
(p299)―あとがき



[感想]
日常の中のドキッとする部分をうまく言葉ですくいあげている。
流しのしたの骨ではなくて、水道管をみたときに感じた
違和感みたいなのが表されていて、あの不気味な感じを再実感。
自分がなんとなく感じていてもうまく表現できなかったことを
表現してくれているのですごく安心する。
後は、折り紙結構好きな理由がなんとなく分かった気がする。


―――――江國 香織「流しのしたの骨」新潮文庫