死と日常の中の危機―「夏の庭」「ポプラの秋」「春のオルガン」

夏、秋、春と四季で順にきているけん
まるで某韓流ドラマみたいですが、
某冬ソナを見る時間があるならこの3冊を読めと言いたい。


3つとも良いけど、「夏の庭」と「ポプラの秋」は
小中高校生くらいに読むともっと良いと思う。
「春のオルガン」は思春期くらいの時期に一度読んで、
大人になってからもう一回読みたいところ。


全体的には死が中心のテーマにきとるけど、
重苦しい感じで出したり、日常と断絶した事件として扱うのではなくて、
普段の生活との連続した領域のなかで
どう考えて、どう生きていくのかっていうところが描かれとって良いなと思う。


角田光代さんの解説がてげないいけん、
ここに引用。


「共通しているのは、この作家がどの作品でも
 決して死を特別扱いしない、ということだ。
 読み手を泣かせるための道具立てとして
 死をあつかうこともなければ、死を美化することもない。
 また、超えられないトラウマとして描くこともなければ、
 生を再確認するための役割として描くこともない。
 この人の小説に登場する死は、
 まるで現実に私が出合う他者の死そのものだと、私はいつも思う。」
 (p234-235)


前の2冊を読んで、ぼんやり感じていたことが言語化されていてすごい。
あと、下記の解説も心に留めておきたい。


「生きていく時間のなかには、本人すら自覚しないような危機が
 いくつかあると私は思っている。
 それは「危機」なんて言葉が似合わないほど、
 さりげなく日常にまぎれている。
 けれど、その危機を乗り越えられなかった場合、
 その後の人生は一転する。
 危機につかまってしまったばかりに、その後、
 ずっと後ろをふりかえるようにしか生きられない場合だってある。
 光より闇をさがしてしまう目を持ってしまうこともある」
 (p233)


ニュースとかで、なんでそんなことしちゃう人がおるとけ?
って思うことがたびたびあるけど、
こういう「危機」を乗り越えられるかどうかが鍵なのかもしらん。
子供を持ったときや子供と接するときに心に置いておきたい。
というか、特に中学校と高校の先生はこれを読むべきだ。


ただ、この本がすごいのは、そういう
深い闇(ダークサイド?)に落ちるか落ちないかっていう
ぎりぎりのところにいる人を扱っているのに
読中読後で温かい気持ちになれるところ。


「しかし不思議なのは、これほど未解決なことばかりなのに、
 読後感はすべての解決を見たかのような爽快なものだ。
 トモミが、わからないことすべてと戦う勇気を得たのと同時に、
 思い通りになることばかりではない生を引き受ける力を、
 私たちにもまた、この小説はあたえてくれるからだと私は思う。」
(p239)


すぐれた解説というのは、小説部分を読み終えたあとに、
さらに本をもう1回読んだくらいの読後感をあたえてくれると思う。
角田さんの解説は別のなんかの本でも読んだけど、
その本のことを深く理解させてくれるような感じでいいなと思う。




以下、「春のオルガン」より


あたり前なことはわかるけど
猫は命があるから、ものとはちがう。
猫を捨てるのはいけないこと。
そう、そんなのはあたり前。
それくらいなら私にだってわかる。
だけど、猫は捨てられてしまう。
(p102)


持ってるもので争うくらいなら
「あんなことは二度とするまい、
 持ってるもので争うくらいなら
 何も持たずにいるんでかまわない、
 おじいちゃんはあれからずっと、
 そういうふうにやってきたんだ」
(p150)


勇気
「おばさん、どうしようもないことってあるね」
「うん」
「だけど、テツ、がんばってよかったんだよね」
 おばさんは大きく息を吸いこんだ。
 それからいつものガラガラ声をいっそう大きくして、
「どうしようもないかもしれないことのために戦うのが、
 勇気ってもんでしょ」と言った。
(p218)


―――――湯本香樹実「夏の庭」「ポプラの秋」「春のオルガン」