アムリタ

自然の力
あたり前のことを、こんな力を持った夕暮れでも見ない限りなかなかわからない。
私たちは、百万の書物を読み、百万の映画を見て、
恋人と百万回キスをしてやっと、
「一日は一回しかない。」
なんてたぐり寄せるとしたら、一ぺんでわからせて圧倒するなんて、
自然とは何とパワフルなんだろう。
求めてもいないのに、放っておいてもわからせる。
ただでじゃんじゃん誰にでも、わけへだてなく見せてくれる。
求めてわかるよりずっとはっきりと。
(p205-206)


体の言葉
「あのね、由男とか俺みたいに、変なふうに頭を使ってしまって脳の筋肉が発達しすぎてるやつは、体の言葉を聞いてやらないと、分離しちゃってひどいことになるんだ、わかる?」
(p227)


愛というコンディション
「人間が自分や他人にしてやれることの話よ。それが、愛、でしょ?どこまで信じ切れるか、でしょ?でもそれをやろうとすることのほうが、考えたり話し合うよりどれだけ大変か。どれだけエネルギーを使い、不安か。」
「つまり愛っていうのは、あるコンディションを表す記号だっていうこと?」
私が問うと、
「うまいこというわね。」
母は笑った。
(p236)


―――――吉本ばなな「アムリタ(上)」新潮文庫




Feed
「だから、私、コズミくんなんて不幸そうにしてるけど、時々うらやましい。
家族の、お母さんの、思い出があるもの。だれかに、何の心配もないよって守られて、Feedされた思い出が。」
(p21)


パン屋の幸福
パンが焼ける匂いはなぜだろう、恐ろしいほど幸福な感じがする。
郷愁を誘う。どこかにあるあの輝く朝に帰りたくなる。
たとえ焼き立てのパンを百斤食べても、このにおいがもつあるイメージには届かないだろう。
(p103)


日常の力
日常にはおちはなく、どのような呪いの夜も明けるし、どんな悲しいことも長くは続かない。食べたり、飲んだり、出かけたり、寝たり、風呂に入ったり、そういうことの力は憎んだり、愛したり、出会ったり、別れたりするよりも強い気がする。そうでなければ死別の悲しみなど、永久に乗り越えられはしない。体があるかぎり、それを維持する営みは続き、それは人間にとって苦痛ではあるけれどもやはり救いなのだと思う。
だからこそ、地味で、ちょっと悲しくて、あまり意味のない最後の章が私はけっこう好きだ。永遠に続く恋はないし、超能力があっても人はお風呂を洗ったりしなければならないし、タクシーの運転手さんとの会話で意外に人は心晴れたりするものだ。
そういうことについては、ずっと書いていきたい。
(p307)
―――――吉本ばなな「アムリタ(下)」新潮文庫



[感想]
いつも思うけど、"feed"っていう表現はおもしろいなって思う。
日本語には無い感覚やないやろうか。


パン屋に関する記述はかなり同感。
自分がなんでパン屋好きなのかよくわかってなかったけど
こういうこともあるのかもしらん。


あとは日常の力っていうのはやっぱ良い表現だ。
落ち込んだときはこれをもう一回読もう。