マルドゥック・スクランブル

序盤からいきなり少女買春とかレイプとか爆殺とかで始まって、
その後の戦闘シーンとかもかなりエグく、正直一巻目で止めようかと思ってました。


実際、作者の方もあとがきで次のように述べています。

「果たして、少女がのたうち回って苦しんだり、馬鹿げた大金を博打につぎこんだりするような物語を、読者は望むだろうかと、疑問にも思っているのだ。
 そして恐らく、答えはノーなのである。いったいどこのだれが、そんな物語を要求するだろう。どこの出版社の編集者も、そんなものを求めてはいなかった。
 第一巻から第三巻にかけて、不愉快なシーンも多々あり、金を払って、なんでこんなものを読まなければならないんだと思われた方もいるかもしれない。」
冲方丁マルドゥック・スクランブル The Third Exhaust―排気」p378)

まさに、その通りで、なんでこんなものを・・・って思ってました。
ただ、それをたまたまtwitterでつぶやいたところ、
フォロワーの方から最後まで読むべきとのリプライを頂いて
(しぶしぶ)二巻目に手をつけたのでした。


ところが、読み進めてみると二巻目の途中からは一気読み!
amazonのレビューで他の方も書いてますが、特にカジノのシーンは圧巻です。
最後まで一気に読み進めました。


何が良かったかというと、カジノで主人公が成長して精神力の強さをみせる場面と
ギャンブルを通じての人間についての洞察です。


まず、主人公の少女の精神的成長について。
最初は受動的だった主人公が自らの考えで行動を起こし、目的とするものをつかみとっていく。
単純に成長物語としておもしろく、カジノのシーンでは感情移入して手に汗握って読む感じでした。
あとがきで触れられている「輝き」は、この「少女」の成長の物語に表されているのではないかと思います。

「ならばなぜ、そもそも、そんなものを書いたのか。
僕はただ、反吐にまみれながら見つけた、精神の血の一滴を、他の誰かにも見せたかっただけなのだ。そしてその切々とした輝きが、どんなときも、あらゆる人々の中にもあることを、大声で告げたかっただけなのだ。
 最善であれ最悪であれ、人は精神の血の輝きによって生きている。
 エンターテイメントは、その輝きを明らかにするためのものに他ならない。」
冲方丁マルドゥック・スクランブル The Third Exhaust―排気」p378-379)



次に、カジノを通じての人間についての洞察についてです。
登場人物の一人のディーラーがこう語っています(このディーラーがまたカッコいい)。

「我々が生きていること自体が偶然なんだ。そんなこと、ちっとも不思議じゃないじゃないか?偶然とは、神が人間に与えたものの中で最も本質的なものだ。そして我々は、その偶然の中から、自分の根拠を見つける変な生き物だ。必然というやつを」―アシュレイ・ハーヴェスト
冲方丁マルドゥック・スクランブル The Third Exhaust―排気」p190)



(以下、ネタバレ入ります)
また、ブラックジャックの途中でこのディーラーが兄の話を始めます。
あるとき、そのディーラーの兄が道でヒッチハイカーを見かけて乗せたところ、
車のトランクに押し込められて殺されてしまいました。
兄の葬儀後、彼は父とともに現場に行ってトランクに入ってふたを閉めてもらいます。
暗闇で出られず、恐怖を感じていたところ、
父から「フックを引け、そこにフックがある」と言われて、
それを頼りにトランクを開けることができました。


この経験を受けて、

  • 車のトランクの構造に関する知識
  • フックがあることを教えてくれる誰か
  • 自力で見つけられる

この3つのどれかが兄にあったなら死ななかっただろうと述べた上で、
主人公に対して次のように語ります。

「それら三つのうち、どれかを持っているかどうか……それが人生の分かれ目だ。なかった人間から順番に敗北してゆく」
(中略)
「君がそれら三つのうちどれを持っているのかは知らないが、それがあるからこそ、生かされている。そのことを忘れてはいけない」
冲方丁マルドゥック・スクランブル The Third Exhaust―排気」p194-196)

偶然が物事を左右するギャンブルを通じて
生きていること自体が偶然という人間についての話が進んでいきます。


偶然だからといってすべてそれに身をゆだねるのではなく、
知識や手助けしてくれる誰かを得て偶然をできるだけ必然に近づけてゆく。
大変だけれどもそうした作業の中で人は強さや輝きを見せるのではないか。
そんなメッセージを受け取ったように思います。


同じく、人間についての洞察という点では下記のくだりも印象に残りました。

「暴力の本質とは何かを教えてやろう、ボイルドよ。それは好奇心だ。それこそが、ほとんど全ての暴力的行為の背景にあるものだ。対象を知り尽くし、自己の力を行使し、自己が味わえる全てのものを味わいたい。たとえそれば勝利感や義務感、無力感の代償、自己実現の手段、はたまた病的気質によるものだったとしても、その本質は変わらない」
(中略)
「この世で好奇心ほど暴力的なものはあるまい。そして他ならぬ好奇心によって、人も動物も生きておる。そのことを知り、そのことに耐えられる者こそ人間と呼ぶべきだ」―フェイスマン
冲方丁マルドゥック・スクランブル The Second Combustion―燃焼」p144)

人間を語る上で暴力もやはり外せない要素だと思います。
だからこそこんなに暴力的なシーンも多いのかなと、
エグいことは作者も重々承知の上で書いているのかなと最後には得心がいきました。


とにかく、序盤はエグすぎてひいてましたが、
最後には読んで良かったなと思わせてくれる小説でした。