情熱大陸と森との距離感

久々に情熱大陸を見る。
団塚栄喜さんという「ランドスケープデザイナー」。
なんだそん職業はっち思ったけども結構おもしろかった。


情熱大陸は大体最初の10分くらいで
別のことやりながら見出すか引き込まれて見るかのどっちかやけど
今回は後者やったから良かった。


単にデザインを追究するっちゃなくて
自分がデザインしたもんを人がたくさん集まる場所に置いたら
おもしろいっちゃないかっていう考えが実用主義的で良いと思った。
検索したらひっかかった記事にも
「人の視点に立った場づくり」「個人が楽しめるもの」っていうワードがあって
やっぱそういう視点が良いなと思う。


記事読んじょったら
「仕事中のスピードが10で、
1がくつろぎのスピードとしたら、
マイナス9のペースダウンを行うのが
ランドスケープデザイン」っていうのはおもしろい!と思った。


「街にはいろいろな速度のものが混在しています。それを整理する意味でも活用できるでしょうね。ランドスケープだけではなく、自分なりのメジャーをつくっても面白いですね。例えば、携帯電話を5としたら、手紙をマイナス1とか、酒を飲んでいる時をマイナス5とか(笑)。自分のメジャーがあれば、TPOでいろいろ使えるはずです。」


自分なりの尺度を開発せんといかんなー。
とりあえずおれは酒を飲んじょるときはマイナス50だ。


ところで、番組の中で
高級マンションの中に森を作ってくれっちゅう
仕事に取り組むところが出てきたけども
そこで出てきたキーワードが
森との間に「ある種の距離感・断絶感」。
そんで出てきたのはガラスで仕切られた森。


ここでふと思った。
ああ、やっぱり森は都市からは遠いもんやっちゃなあと。
山村部に暮らしている人にとっては
森との距離は無いに等しいと思う。
生活の中に森が入り込んじょるし。
もちろん皆が皆そうじゃないけど明らかに感覚が違うと思う。


東京に来てみて思ったのは、森に入るためには、
森へ行こう!と思って
森へ行くための手段を調べたりして
心と体の準備をしてから行くような感じになる。


見えてはいるけどそれに入るためには
ある種のジャンプがいるっていう感じ。
山の方におれば森は日常の中にあるけど
都会におると森は非日常の世界。


都会の日常の中に森を取り込むためには
頑張れば完全に通り抜けられんことはないけども
見えない壁があるようにデザインすることが必要なのかもしらん。
公園とかの森は壁が無さ過ぎて「森」って感じがせんしなー。
だからこそ、ガラスで仕切られた森ってのはうまいなあと思った。


あーそれにしても東京は山が見えん。
霧島が見たいなあ。


良い放送やった。
今度友達に会いがてら江戸・東京の歴史が絵で刻まれた
階段が作られたっちゅう霞ヶ関合同庁舎の7号館に行ってみよう。